OH! MY 神様

視えるようになった娘との日々のやり取りや、それを取り巻く家族の状況を備忘録として記しています
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永眠

時々記事にしていた近所の一人暮らしのおばあちゃん。
書けない間にも入院騒動があったり、夜中の急な呼び出しがあったりと何やかんやと騒がせてくれていましたが、そのおばあちゃんが昨日永眠されました。

この1週間ほどで動けなくなり、床ずれも異常な悪化。にも関わらず一人で動こうとして私が行くといつもベットから落ちていたり、トイレの前で倒れていたり…。少しでも時間があれば見に行ってお世話をし、嫌がるオムツも何とか着けてもらい、食事を運んだり、水分補給をしたりしていた。

少し離れた所に暮らす娘さんも数日おきに来てくださるようになり、訪問診療の先生、訪問看護士さん、ケアマネージャーとの連携も作られ始め、これからが本格的な床ずれの治療に入るところだった。

床ずれとは言っても深さ2~3センチぐらいまで皮膚がやられていて悪臭を放つほどになっていた。まだここまでひどくない時に娘さん、ケアマネ伝えて認識してもらっていた。が、本人は気力だけでお風呂に2日連続で入ってしまった。私が「感染症にでもなったらどれだけ辛いか」とことごとくお風呂に入らないように伝えても無駄だった。

その結果、傷はグジュグジュ、異臭がし始め慌てて受診を勧めてやっと事の重大さを娘さんは理解したようだった。

それでもおばあちゃんは寝たきりになりたくない一心で体を動かし続けていた。「頭はしっかりしていても体が悲鳴を上げているよ」 「自分から体を痛めつけているんだよ」昼夜問わずに私は見守りを続けて伝え続けた。

「うん、わかった」その言葉に安心して手が届くところには水分補給のための白湯や高カロリーの栄養ドリンクを用意し、オムツも漏れないように完璧セッティングして戸締りをして帰宅する。そんな毎日を送っていた。

でも、朝行くと必ずどこかに倒れていた。「どうしてもトイレに行きたくて」それが理由だった。頭がしっかりしているだけに気力だけで這ってでもトイレを目指していた。ベット脇に簡易トイレを設置しても目指すは6~7メートル離れた家のトイレだった。

亡くなる前の晩「動けないから助けて」と電話が入った。午後8時を回った所だった。すぐに駆けつけるとべっとからずり落ちる形でうずくまっていた。

ヘルパーとして関わる時と近所のものとして関わるのを私は区分していた。が事務所ではその辺りを理解してはくれない「なあなあになっている」そうこの日にも言われていた。だからと言ってこのおばあちゃんを放っておくことは私にはできなかった。

「〇〇さん(おばあちゃんの名前)、私も事務所との関係で正直やりにくいのよ、だから私のいう事を聞いて動かないで」 私はおばあちゃんに動いてもらいたくないためにわざとそう話した。するとおばあちゃんは「じゃあ、もう家に来るの止めるか?」そう聞いてきた。「止めないよ、私は最期まで面倒見るよ」目をしっかり合わせてそう告げると、おばあちゃんは安心したように微笑んだ。

そして数年間連絡も取れない長男さんに対して「あのバカ息子…」そう呟いた。気の強いおばあちゃんだ。故になかなか子ども達が寄り付かず、近所の方々も敵に回して孤立してしまった。まだ元気な時も私にいろんな方への恨みつらみをよく話していた。私はそれを聞き流しながら数年間このおばあちゃんの人間関係を見て来た。類は友を呼ぶというが、なるほどそのような関係性が見られていた。

だからこそ、最期はそのような恨みつらみとは無縁に穏やかに亡くなって欲しい。それが私の目指すところとして娘さんと事務所の間でブレないように起動修正していた。

「バカ息子…」言葉を続けそうなのを遮って「もう恨むのはやめようよ」と話した。「訪問の先生だって、看護士さんだって、とても優しくて良い方たちが来てるじゃない。良い人達に恵まれたんだし、息子さんにはかなわないけど、私がやるからさぁ」 おばあちゃんは穏やかな顔つきになった。「じゃあ、おやすみなさい」

それが最後のやり取りだった。

翌朝、いつもよりちょっと早めに様子を見に行くと、おばあちゃんは廊下に倒れて冷たくなっていた。手足はもちろん、顔までも冷たくなっていた。でもうなじにはまだ温かみが残っていた。あれほど言ったのに、最期は冷たい床の上だった。

娘さんへ連絡し、訪問の先生へ指示を仰ぐと「可哀想だからベットに寝せてあげてください。僕もすぐに向かいますから」早朝にも関わらず先生は穏やかな口調でそうおしゃいました。

廊下と和室の敷居が大きな障害だった。いくら痩せたとはいえ重さは相当だった。「あれほど言ったのに」言葉に出しながら泣けて来た。頭と腰の下に座布団を入れて痛くないように気をつけた。「痛い、痛い」いつも倒れていた時に発せられていた声は聞こえない。でもだからと言って乱暴には運べない。「〇〇さん、最期の最後までやってくれるね」泣きながら慎重に敷居をクリア。ベットのそばまでは寝た状態で座布団を滑らせた。いよいよベットへ上げる時上体を前かがみにして、持ち上げてっと、するとおばあちゃんが「フゥー」  息を吹き返したのかと思い、声をかける。前かがみにしたことで肺や気管に溜まっていた空気が抜けた、ということのようだった。

全身の力を振り絞り、火事場の馬鹿力ってこれなんだろうなと意識しながらご遺体を持ち上げ、どうにか寝かせる事が出来た。改めて見るとそう苦しんだ様子は見られない表情に救われた。衣服の乱れを直し、「これが最後になるね」とおむつ交換をさせていただいた。

きれいに整えたところで娘さんが到着。発見時の様子を伝えながら倒れていた姿を収めた写真をスマホでお見せした。娘さんは涙を流しながら「本人も最後まで好きに出来たから満足だったでしょう」と話された。間もなく先生も到着し、ずーとおばあちゃんが会いたがっていた息子さんも到着。それぞれに写真を見ていただき私の務めは完了した。

ただのご近所さんからスタートし、ここまで関われたのはきっと過去世で何かしらのご縁があったのでしょう。おばあちゃんの今生での学びは完了しただろうか?天国にて、先立たれたご主人と「私をこんなに甘やかした母が悪い」と私にこぼしたが、そのお母様と笑顔で再会できただろうか?

私も多くを学んだおばあちゃんの人生でした。おばあちゃん、安らかに。ありがとう。


 






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意識レベル


昨年測定してもらった意識レベルですが、自分自身の成長の確認として今年も測定してもらいました。
昨年(10月3日測定) 664 →今年(10月2日測定) 672 という結果。8ポイントですが上げることができました。

測定していただいた意識レベルドットコムの岡田様にからは「自分を信頼し、尊び、自覚することで無限の可能性への扉を開くことができます。」とのコメントをいただきました。

無限の可能性への扉…子どもたちのためにもどんどん開いていきたいです。失敗などない、どれもが学びだということを伝え続けて行けるように。

仙台二人旅 2014 三日目

9月27日

帰宅してから、いつものドタバタで書けずにおりました。

最終日は作並のニッカウイスキーの工場見学と山寺の参拝をしました。

ニッカは大自然の中、きれいな煉瓦造りで見事な景観でした。(スマホで写真を撮り忘れてしまいました)

山寺は仙台に住み始めて直ぐに主人の両親と来た事がありました。長男が11ヵ月の頃だったと思います。

寒さが厳しくなり始めた頃でしたが、仙台はきれいな晴天の日でした。山寺へ向かう途中から急に雪が降り始め、山寺の麓に着いた時には景色は白くなり始めていました。

それでも、せっかく来たのだからとまだ雪がうっすらだった参道を長男を背負いながら登りました。でも、雪は勢いを増して両親と私と長男はあと一歩の所で断念。主人一人が真っ白な山頂をめざしました。

以来、いつかは山寺をリベンジしたいと思っていました。十何年もしてから長男と二人で参拝出来るとは、神様のニクい演出です。感謝しながら岩山を登りました。

12時ちょうどの山頂からの太陽です。




そして、見下ろした風景



12時ちょうどの太陽を見て、天照大神様に日本の平和を願いながら参拝させていたたいでおりました。(まさか、同時刻に御嶽山が大変な事態になっていたとは…帰りの新幹線で知りました)

参拝後、麓で山形名物のお蕎麦と、ずんだ餅をいただきました。お店の方が、『山寺の栗を食べてみて』と小ぶりの栗を幾つもテーブルへおいてくださいました。素朴な味わいが余計に山への感謝になりました。

仙台へもどり、最後にまた東照宮へ行くことになりました。住んでいた所に近かった為に昨年も寄っています。

長男はまたおみくじを引きました。『今は動くな…』というメッセージ、長男も納得していました。仙台に住むのは今ではないようです。

長男は『中高をここで過ごしたかった』と何度も感慨深くつぶやきました。そして、今回も通っていたかもしれない近くの中学を見たいと言い、寄り道をしました。

校庭では野球部が練習をしていました。昨年は体育館から剣道の竹刀が当たる音、踏み込みの音、気合いの声が聞こえていたのを思い出します。

何でもないその景色が長男には輝いて見えているのでしょう。取り戻せるのならば取り戻したい…そう思っているのが伝わって来ます。

切ないですが、私たちは『今』を生きている。振り返ってばかりではどうにもならないのです。長男にもそれを伝えました。

そう思えないのはまだ時間が必要なのでしょう。『焦らずに生きよう』そう話してその場を後にしました。

二泊三日の旅はこうして終わりました。仙台駅で新幹線に乗り込む直前に長男は『どうもありがとうございました』とはっきり言ってくれました。嬉しい言霊でした。




仙台二人旅 2014 二日目

9月26日

職場見学二件目へ。市街地からは離れた田園風景に癒されながら約束の時間に到着。

昨日同様に私は周辺散策をして時間を潰す。長男を送り出し、きれいな空の写真を撮っていると、長男からの着信。『どうしたの?』と聞くと『会社の人が、お母さんも一緒に…』との事だった。

万が一にこんなこともあろうかと一応身支度は気にしていたので良かった~。

ご挨拶を交わして一緒に会社内をまわらせていただいた。あと数年で退職を迎えるという男性は公私に渡り充実していらっしゃる様でした。海外までも買い付けに行かれるそうで、お話も大変興味深く、人柄もとても魅力的でした。

最後は駅まで車で送ってくださり、良い出逢いをさせていただきました。

一方の長男は、車の所有を勧められ困惑気味。一人暮らし+車所有となると現実的に難しい。良い出逢いではあったが、タイミングが違うようだ。

帰りは寄り道をして松島へ。先ほどの男性から干支の護りの仏像があると伺ったのと、昨夜ガイドブックでちょっと興味を持っていたので迷わずに直行。

長男も真剣に見入るほど、どの仏像もパワーを感じた。家族に由来する仏像には感謝の念を送り、家族への思いを繋いだ。

御守り代わりにキーホルダーが欲しいと言っていた長男は自分に由来する仏像の護符が気に入った様子。仏像の前にあったおみくじと共に購入。(ホテルでおみくじを確認すると正にぴったりのメッセージでした)

その後は福裏島に渡り、大自然を堪能。しっかりグラウディングが出来ました。




仙台二人旅 2014

9月25日

仙台一日目です。台風の影響もさほど受けずにほとんど傘要らずでした。

職場見学一件目はどうやら違うと長男は感じたようです。

気を取り直して『仙台わかものハローワーク』へ。現地ゆえにさすがに情報は多い。よそ者である私たちですが、事情を話すと丁寧に対応してくださり沢山の情報をいただきました。

が、やはり一人暮らしでの就職は大きな壁。長男もいろいろ思い悩んでます。

空を見上げれば、きれいな夕焼け。いつか長男の迷いもこの空のように明るい陽が射す時が来ることでしょう。



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